那須田 玲菜(なすだ れいな)
養育施設「Dream Train(ドリームトレイン)」
Project Director
出身地 静岡県
入職年
2013.8~ ジャパンハート東京事務局インターン(月に数回)仕事やバイトをしながら
2014.5~ ジャパンハートミャンマーインターン
2015.5~ ジャパンハート有給職員
趣味 ダンス、読書、お酒
経歴 静岡県浜松市出身。小学校時代からダンスを始め、高校卒業後NYにダンス留学。
帰国後にダンスインストラクターなどの仕事に就くが、友人の病気や震災などをきっかけに「後悔の無いように生きよう」と思い国際協力の道へ進む。
今回は、ミャンマーの養育施設「Dream Train」でプロジェクトディレクターを務める那須田さんにお話をうかがいました。
那須田さん、Dream Trainの「プロジェクトディレクター」ってどんなお仕事ですか?
プロジェクトディレクターは、施設全体の方向性を考える仕事です。方向性は、子どもたちの日々の変化によって軌道修正が必要になってきますし、Dream Trainでは、「ミャンマーの国をけん引するような人材を育成する」というのが目標なので、そこへ向かうために手探りで調整していいきます。
あとは、ヤンゴン在住の企業・個人の方を中心にしたファンドレイジングや、時には用務員のようなお仕事だってするんですよ。
最近は、どんな業務がありましたか?
Dream Trainでは、大学進学をするにあたり重要な時期を迎えた高校生に対して、塾の先生を呼んで授業を受けてもらっています。優秀な先生が教えてくれているのですが、子どもたちの成績がなかなか上がってこない。何でだろう……?と、ふたを開けてみたら、小・中学校など、村にいた時の学力がついていなかったんです。そうなってくると、その頃の教育から遡ってフォローしなくてはいけない。そこで、塾の先生のほかにも基礎学力をフォローする先生を雇い、授業を開始しました。小学生向けにも、ミャンマー語が書けなかったり、特にフォローが必要な子どもたちに担当をつけたりして、全体の学力の底上げをしています。
学校以外にも学力のサポートが必要なんですね。
ミャンマーでは、学校の先生の地位が低いので、モチベーションも低い。午前中だけ学校に来て、午後はいなくなっちゃうなんてことは珍しくありません。情操教育も浸透していないというのが現実です。私たちは、Dream Trainの子どもたちが進路を選択する時に選択肢が狭まらないように、学力をつけさせ、考える力を身に付けさせたいのです。
教育サポート以外だと、どんなことがあるのですか?
雨季は、、子どもたちにデング熱や結膜炎の発症があったりと、感染症が流行することがあります。そのように一時的に免疫が落ちる時期は、長期看護ボランティアさんやジャパンハートの医療スタッフと相談しながら、予算を割いて食事のメニューにバナナをつけたり卵をつけたりして栄養のバランスを調整します。
誰かが何かの賞をとった時は、皆でお祝いをして、喜びを分かち合えるパーティーを開催したりもします。
子どもたちが心身ともに健やかに成長するために、色々な工夫をしているんですよ。
那須田さんは、どのようなきっかけでジャパンハートに入職したのですか?
実は、もともと青年海外協力隊に参加したくて、「NGOでインターンをすれば審査の際にプラスになるかな?」と思ったのが始まりでした。それで月に数回、ジャパンハートの東京事務局で事務作業のインターンをしていたんです。ところが、働いているうちに「協力隊もいいけど、ジャパンハートで現地(海外)に行ってみないか?」と、誘いを受けました。聞くと、有給職員の道もあるということだったので、まずはインターンでミャンマーへ向かうことにしたんです。
当時は、短期ボランティアや訪問者さんの受け入れ調整をする仕事をしていました。あっという間に1年が経とうとしていた頃、有給職員の話がありDream Trainを担当することになったんです。
那須田さんは、プロのダンサーというキャリアからガラリと違う国際協力の道に進んだのですね。
ダンスは小学生の時からやっていました。バトントワリング、ジャズダンス、バレエ……。高校卒業後は、ダンス留学のためにアメリカへ飛び出しました。
留学していた時は、時々ダンスクラブへ遊びに行っていました。そこで私がダンスをしていると黒人の人たちが寄ってきて、ステップを教えてくれるんです。とても親身になって。彼らが普段何の仕事をしているのかとかそんな会話はなく、ただただダンスを教えてくれたんです。
私、当時は「ダンスで稼げるようにならなきゃ……!」って力んでいたのですが、彼らがお金とは関係なくとにかく楽しそうに踊っている姿を見た時、「ダンスって本来こういうものなのかもな」と思ったんです。そう思った瞬間、それまで感じていたプレッシャーがスーッとなくなって「これからもダンスをやっていける」と思えました。
そしてその後、彼らがアフリカから移住してきたという歴史を知りました。私に大きなメッセージを託してくれた彼らに「いつか恩返しをしたい。」そんなふうに思ったのが、国際協力を意識し始めたきっかけです。
帰国後、ダンスのインストラクターをしている時、東日本大震災が起きて多くの人が犠牲になったり、ダンス仲間の大切な友人がステージ4で手術もできず転移もある乳がんになったりしました。友人は、人間性が柔らかく、自分のことより他人を優先するような人で、ダンスもとても丁寧に踊る人だった。そんな人が自分より先に死ぬ可能性があると分かったとき、「私は、後悔しないように生きないといけない」と思ったんです。
そして思い出したのが国際協力の道でした。
ミャンマーではどんな生活を送っていますか?
満員電車に乗る必要はなく、日本にいた頃より、ストレスは格段に少ない生活です(笑)。
でも、停電は頻発しますし、なぜかうちだけよく断水したりもします。ミャンマーに来たばかりの時は、色々なことにいちいち驚いていました。
ある時、急に家の水道水が臭くなったんです。連日40℃で、水がどんどん臭くなっていって「何だろう?」と思っていたら、お手伝いさんが「貯水槽でハトが死んでいた」って……。私、その水で歯磨きとかしてたんですよね(笑)。
南京虫に刺された時は本当に辛かったです。でも1年目に数回やられたものの2年目からは抗体ができたのか刺されなくなりました(笑)。
でも、こんな生活だからこそ人生には「代替え案」がたくさんあるんだなって、気づくことができた気がするんです。
例えば……
Q. お湯が出なければ?
A. 1冷水でシャワー 2友人宅でシャワー 3明日まで我慢
何かがうまくいかない時は、別の方法で選択肢を作ればいいんだって柔軟に考えられるようになりました。この気付きは、普段の仕事でもとても役立っています。
普段は何の言語でコミュニケーションを取っているのですか?
基本的に日常会話は、ミャンマー語です。
ボランティアさんやスタッフは、ミャンマーに来てから語学の勉強をしていますが、毎日子どもたちと接しているのですぐに覚えていきます。
ただ、他言語はミスコミュニケーションになりやすいので、大切なことは通訳を通しますが、ミスはある程度「しょうがない」と許容する寛容さは必要だと思います。
ただ、ミスコミュニケーションは言語だけではなく、生まれ育った環境や見聞きしてきたものの違いもあると思っています。こちらの伝えたいことがそんなに深く理解されていなくて、そもそも何でやるのか分からないまま物事が進んでいたり、上司に言われたことをやるのは絶対、という文化だから従っていた、ということがあったりもします。
それで喧嘩になったりすることはないんですか?
それはないですね!
日本人のスタッフは仲が良いので、仕事が終わった後は愚痴をこぼしに近所のビアステーションへよく行くんです(きっとミャンマー人スタッフも、そうしているのでしょうね。笑)。私はそんなにお酒は強くないですが、飲むのは大好き。ミャンマービールはとても美味しいんですよ!
あとは、「その人たちを好きになる」ことが一番の結果に結びつくポイントだと思っているんです。これは、ダンスをしていた時から体感していたことで、ダンスを教えに行ったらその街を好きになる・来てくれるお客さんを好きになる、ということが集客を上げる気がするんです。でも好きになるために知ろうとしたり、知っていくと絶対に嫌なことが見えてくる。それは乗り越えなくてはならないことですね。
仕事で大変だと感じることは何ですか?
子どもの試し行動です。
女の子に多いのですが、距離感を近くしてきたと思ったら、急に無視をする。よくよく聞いてみると、こちらがどういった反応をするのか愛情を試していただけだった。親がいない・身寄りがいない子は特に試し行動が多い印象を受けています。仕事でストレスが溜まっている時にそういうことをされると「この子たちのために毎日頑張っているのに、どうしてこんなことをされなきゃいけないの……!」と思うこともあります。でも、保育士や看護師の経験がある日本人スタッフに相談して、どうしてそういった行動を取るのかや対処策を教えてもらい日々勉強しています。
そんなことがあっても、喜びを感じる瞬間ってあるのでしょうか?
はい。もちろん!
日系の美容院で働いていた男の子が職場の環境についていけず、1年で辞めることになってしまったんです。働く前に一緒に見学に行って、たくさん話し合って就職に至っただけに残念ではありました。でも、彼が辞めてしまう前に美容院に行ってその子にシャンプーしてもらった時、「辞めることにはなったけど、1年間は続けるって約束したから、頑張ったんだ」って言われたんです。約束を守ろうとしてくれたことが嬉しかった。そんな子どもたちの誠実さに触れる瞬間や、こちらの心を慮ってくれる場面、その子たちが笑顔でいてくれる時が大きな喜びです。
那須田さんは、ジャパンハートはどんな団体だと感じていますか?
「いびつな船」でしょうか。
医療者として生きてきた人間が、急に事務所に入って企業の方々とのやり取りを任されたり、社会人経験数年の人間が国家プロジェクトを担当したり、ダンスしかしてこなかった人間が養護施設の運営をしたり……。いびつで秩序がないように見えるし、もろくなっては補強する、を繰り返しているから危なげなんだけど、沈まない。「多様性」と支援くださる方の愛や想いで作り上げられた、いびつだけどその分強さも持った船のようだなと思います。
私はダンスしかやってこなかったから、最初はブラインドタッチもできないし、ビジネスメールも打てないし、失礼なことをたくさんしたと思います。それでも熱意を認めて「いいよ」って言ってくれることがありがたかったし、きついことがあっても「この団体だから」「この人が上だから」って頑張れる環境でした。
吉岡先生を船長に、周りの人たちも「今なにが必要か」というのを必死に考えて門外漢のことにチャレンジして、わちゃわちゃしているなかでも、皆がちゃんと同じ目的地を見ている感覚があります。
私たちは一緒に活動する仲間を募集しています!
「すべての人が、生まれてきて良かった」と思える世界を作りたい。ジャパンハートの活動に興味があり一緒に働いてみたい!という方、国際医療に関心のある方、NPOの仕事にご興味のある方など、まずは採用説明会にお気軽にご参加ください。