河野朋子(こうの ともこ)
ミャンマー専門医療プロジェクト
プロジェクトディレクター/看護師・助産師
出身地 兵庫県加古川市
趣味 ショッピング・食べ歩き
活動国 ミャンマー
ジャパンハートでの活動開始
2005年4月〜ミャンマー ワッチェ慈善病院で看護師として活動を開始
その後、ミャンマー専門ミッション(現・ミャンマー専門医療プロジェクト)医療コーディネーターとして活動
※掲載の内容は2019年9月時点のものです。
河野さん、よろしくお願いします。まずは河野さんの業務内容・役割を教えてください。
はい、よろしくお願いします。
私は「ミャンマー専門医療プロジェクト」のマネージメントを担当しており、日本から来てくださる様々な分野の医療チームと一緒に、ミャンマー国内の病院に出向いて患者さんの治療と現地医療スタッフに対する指導を行っています。
具体的な役割としては、ミャンマー国内の医療者たちのニーズや抱えている問題を拾い上げて、その問題の解決に精通している日本チームとのマッチングを行います。ミャンマー保健省やミャンマー国内各地の病院長との交渉からスケジュール調整、手術実施の際の看護師業務から通訳、必要医療物資の買い出しに、日本から来ていただく医療チームの航空券の手配まで……。医療者の枠にとらわれる事なく何でもやります。
河野さんはもともと看護師でキャリアをスタートしていますが、医療以外の業務に抵抗はありませんか?
もちろん今でも看護師としての仕事が大好きですし、それが一番パフォーマンスも上がると信じています。
私がミャンマーで看護師以外の業務を始めた頃は、スタッフが少なくて「やらざるを得ず…」という感じでした。でも今では、ミャンマーの病気で苦しんでいる患者さんやご家族、大変な環境の中で奮闘する医療者の苦労が分かるのは、ミャンマーでの10年以上の看護師経験がある私だからこそ、という自負もあるし、抵抗感よりも、一緒に戦う彼らの苦労が少しでも報われてほしいという想いの方が大きいです。
国際医療を始めたきっかけは何ですか?
幼い頃にテレビで医療や食料が十分でない国や地域に住む子どもたちの映像を見て、「自分で何ができるのだろう? 何か自分で役に立てる事はないか?」と漠然と考えていました。はっきりと意識していた訳ではありませんが、だから看護師としての仕事を選んだんだと思います。そして日本で看護師として働き始めて4-5年経った時に、色々な出会いやきっかけもあって、ふと「幼い頃の想いを叶えてみようかな」と思い始めたんです。
ジャパンハートのことはどのように知ったのですか?
幼い頃の想いを叶えようと、色々な国際協力団体を調べてみたのですが、どれも高い語学力や国際協力の経験を求められ、当時の私が参加できる団体はありませんでした。ジャパンハートが設立されたばかりの2004年当時のことです。
でも、職場には早々に退職する意思を伝えてしまっていたので、相当焦りました(汗)。“行き先が決まってから”なんて考えていたら、私は途中で諦めてしまうだろうと思い先に辞表を出していたんです。
仕方がないので国際協力団体に入ることは諦め、まずは語学留学から始めるしかないとネット検索をし始めた時に、ジャパンハートのホームページに辿り着いたんです。今までいくら「国際医療」や「国際協力」のキーワードで検索しても出てこなかったのに……。まさに、私の今後の運命を決定づけた瞬間です。見た瞬間に「これしかない!」と思いました。夜中だったので、夜が明けて就業時間になるのを待って、すぐに問い合わせの電話をしました。
……そして2カ月後には、看護師としてミャンマーでの活動を開始していました。人生を大きく変えるきっかけやチャンスは、本当にどこに転がっているか分からないものなんだなあと思います。
海外の医療現場と日本の医療現場との違いから、どんなことを感じましたか?
日本では子ども専門病院で勤務していたので、患者さんである子どもたちやご両親とのコミュニケーションをとても大切にしながら看護をしていました。たぶん、日本の看護師なら皆さんそのように心掛けて、患者さんや家族との信頼関係の構築をとても大切にしていると思います。でも、ミャンマーに来た途端、言語の壁にはばまれて日本で大切にしてきたコミュニケーションどころではなくなってしまいました。分かっていた事ではありますが、やっぱり落ち込みました。
一方でミャンマーの看護師さんたちを見ていると、「そんな接し方をしたら、患者さんが不安がらない?!」と思うような事が多々あるのですが、患者さんたちは彼女たちを頼っているし、信頼関係だってちゃんと築けているようです。よーく見ていると、言いにくい事も包み隠さずシンプルにはっきりと伝え、どうするべきか厳しく指導する。看護技術も優れていて、注射は日本みたいに「少し痛いですよ~」など伝えるでもなく、いきなりブスッといくんですが、患者さんが痛がるヒマもないくらい上手くてしかも早い!
医者がいない場所や医療物資のない場所でも活躍できるように、日本だと医師や他職種の業務とされている事もテキパキとこなすように教育されています。側で見ていて「すごいなー」「かっこいいなあ」と感じていました。
そんな彼女たちを見ていたら、「コミュニケーションが取れなくても、私が他の知識や技術を身に付ける事で、患者さんの不安を取り除いて信頼関係を築く方法はいくらでもある」と確信したのをよく覚えています。そして今ではこれらの経験から、日本の看護の良い面とミャンマーの看護の良い面を掛け合わせて、より良い看護の形を模索し続けています。
今現在、仕事上のコミュニケーションはどのようにされていますか?
私、英語が得意ではありません。なんとか聞き取りはできて、ディスカッションなどの内容は理解できるのですが、「自分の意見を英語で話す」となると難しい……。実は私は、英語よりミャンマー語の方が断然得意なんです。今までずーっと英語コンプレックスがあったのですが、最近はこの仕事をしていくうえで、ミャンマー語でのコミュニケーションが私の強みだと感じるようになりました。
ミャンマー語が活きてくるのはどんなシーンですか?
例えば、日本の専門医の方々とミャンマーの現地医師とは英語でディスカッションされる場面が多く、私も横でフムフムと聞いているのですが…、後になって現地医師から「でも実はね…」と英語のディスカッションの中では話せないようなミャンマーの現状や本音を、ミャンマー語で聞かされる場面が多々あります。「あとで日本の先生たちにも、あなたからそれとなく伝えといてね」と言いった感じで(笑)。でも、これがマネージメントするうえでは結構重要で(色んな事を知ってしまったがゆえの苦労もありますが…)役立つ事が多いと感じています。
海外でのコーディネートはそういった“調整力”が必要になってくるのですね。
そうですね、初めのうちは文化や医療を取り巻く環境の違いから、ミャンマー側の時間のかかる許可申請や様々な活動制限に対して、日本から来られた先生方はストレスも多かったのではないかと思います。また、それはミャンマー側の医療者側からしても同様で、日本チームの医療資材の使い方や時間感覚にストレスを感じていました。でも、私から見ると、決してどちらかが悪いのではなく、どちらの言い分も、その背景も手に取るようによく分かります。
だから、そのような中で日本側とミャンマー側がお互いに心地よく活動してもらえるよう、私が分かる範囲での背景を両者にお伝えするように心がけています。そうする事で、お互いのチームに対する理解が深まり、お互いを尊重しながら良いチームワークができつつあると感じています。
医療コーディネーターとしてのやりがいはどんなところにありますか?
色々なことはありますが、日本側とミャンマー側と、それぞれの情報を取り入れながら調整を進め、両国の医療者にとっても患者さんたちとっても、満足のいく形で笑顔でプロジェクトが完結したときの達成感は半端ないです! 半年ほど前(2019年3月)、ミャンマーの国内初となる小児生体肝移植のプロジェクトを無事に成功させる事ができたのですが、ミャンマーの医療のために奮闘している素敵なメンバーと一緒に仕事ができる事、そしてこのミャンマーの歴史的瞬間に立ち会えたということは、とても嬉しいことでした。
忘れられないエピソードがあれば教えてください。
これまで15年ほどミャンマーの医療に携わってきて、忘れられない患者さんやその家族と出会いや一緒に過ごした時間、そして悲しい別れのエピソードも数えきれないほど沢山あります。
つい先日も、10年以上前に全身大火傷で長期入院していた当時3歳の女の子が、無事に大学入学試験に合格したとわざわざ報告に来てくれました。
あとは私が落ち込んで日本に帰りたいなぁって考えている時に限って、思いがけず患者さんから「看護師さん元気? 会いたいよ~」と電話がかかってきて、患者さんたちから元気をもらって復活する、という事を何度も経験してきました。今まで続けてこられたのも、こういった患者さんやご家族に支えられてきたからだと思っています。
最近では、子どもの頃から治療を続けてきた患者さんも、それなりのお年頃になり、病気を持っているがゆえの恋愛上の悩みなども相談されるようになってきました。その中には、病気も全て受け入れてくれるパートナーに出会って結婚する子もちらほら出てきています。こういう報告を聞くたびに、完全に母親目線になって、いつも感動に浸っています。
今後のキャリアや見通しはどう考えていますか?
団体設立当時から、ジャパンハートの原点でもあるワッチェ慈善病院での活動に医療者の一人としてかかわるのみならず、全く分野の異なる視覚障がい者自立支援事業や養育施設ドリームトレイン(Dream Train) の立ち上げにもかかわらせて頂きました。
「出来る出来ない」や「やりたいかどうか?」にかかわらず、やらざるを得ず全て手探りで必死にやってきたというのが正直なところです。私の中にあったのは、視覚障がいを持った人々やDream Trainに来なければならない環境にある子どもたちに、何とか寄り添おうとする必死の想いだけでした。
そして当然のごとく、ミャンマーの中で私たち日本人は外国人で、それまで医療の経験しかなかった私にできる事は本当に限られていて、いっぱい失敗や悔しい思いもしました。でも今となっては、その経験が活きているなと感じる瞬間が多々あるんです。それらの経験は、私の中ではっきりと整理や意味付けができているわけではないのですが、今ではピンチに立った時にふっとどこからか妙案が浮かんだり、絶妙なタイミングで思わぬところから助け舟がやってきたりするんです。私はこれを今までの様々な経験の賜物と捉えています。
…と、前置きが長くなりましたが、もしこれからもミャンマーの人々が解決を望んでいる課題が私の目の前に降ってきたら、医療者という枠にとらわれず何にでも最大限の力で挑んでいくつもりでいます。
だから、数年後には今の私からは想像のできないような事をしているかもしれません(笑)。
これから海外医療を目指そうと考えている方へひと言お願いします。
やらなかった事を後悔するより、挑戦して失敗した事を悔しく思う事の方が、その後の人生に圧倒的にプラスの影響を与えると思います。だから、もし少しでも興味があって迷っているのであれば、海外医療に限らず、ぜひ一歩踏み出して挑戦してみてほしいと思います。
……こんな話を今まで相談を受けた人々にお話しさせて頂いてきたのですが、「そうやって河野さんに背中を押されて、私はミャンマーまで来ました」と言ってくださる方も何人かいて、私なんかの発言が人の人生に影響を与えている事に少し驚いたりします。でもそうやってミャンマーまで来てくださった方々は、初めてだらけの海外医療の現場で色々と悩んだり迷ったりしつつも、私の目にはキラキラと輝く存在として映っています。
河野さん、ありがとうございました!
以下は、インタビューこぼれ話です。語学学習のコツについて、ご興味ある方はご覧ください!!
語学学習のコツは、たとえ言葉が分からなくても、まずはコミュニティーの中に入り込んで行くということでしょうか。分からない言葉があっても、気にせず分かっているフリをしながらウンウンと頷いて聞いておくことです。私は時間さえあれば、患者さんや近所のミャンマー人のところに行って一緒に過ごしていました。
当然、初めは相手が何を言っているのか分からないんですけど、そこで「意味が分からない…」というような表情をすると、相手はあんまり話をしてくれなくなりますので、分かっていなくても分かっているような顔をして、相槌を打ちながら聞いておくのがコツです。
そうすると、何回か会話の中に同じ単語が出てきて、雰囲気で「あ、こういう意味かな?」と言葉のニュアンスが分かるようになってきます。そして、その言葉を自分でも実際に使ってみて相手に通じると、その言葉は完全に自分のものになります。 これの繰り返しです。
私があんまり英語はマスターできていないところを見ると、結局は相手の事を理解したいと強く想うかどうかというのが、語学習得のコツなのかもしれませんね……!
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