活動レポート

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「ホワイトボードの前に立つ」ことの大切さについて

up 2020.05.21

こんにちは、長期ボランティア医師の大江です。

3月末からミャンマーへの外国人の入国制限が始まったので、4月から日本に一時帰国しています。帰国後は、自分が大学生だった時に発展途上国医療の現場で働いている医師から直接話を聞ける機会がほとんど無かったので、できるだけ多くの若い人に発展途上国で総合診療医として働いている「手触り」を伝えようと思い、総勢40名ぐらいの知り合いの医療者ひとりひとりに『発展途上国医療の現場から~』という活動報告会を開催させて頂けないかお願いしました。
でも、コロナのせいで、最初はOKとおっしゃってくださっていた活動報告会も、最終的にはすべて中止になってしまいました。とても残念です。でも、最近ようやくコロナが落ち着いてきて、また活動報告会をできる場所が無いかと探しています。

なぜ、こんなに活動報告会をしたいのかと言えば、もっと多くの若い人たちに発展途上国医療の現場に飛び込んで来て、発展途上国の社会問題を解決するのに一緒に協力して欲しいからです。そして、この現場で働いていると、日々学びがあり、楽しいからです。
こんなことを熱心に語っていると「君もまだ若いんだから、今からそんな老成したこと言って~」と冷やかされることがあります。まだそんな何かを語れるような年齢では無いだろう、というわけです。
でも自分は、齢をとったから何かを語れるようになるのではないと思っています。
村上龍は24歳で『限りなく透明に近いブルー』を書き、村上春樹は29歳で『風の歌を聴け』を書き、ゲバラは30歳でキューバ革命を起こしました。そんな彼らに「君もまだ若いんだから~」なんていう人はいません。伝えるべきことがあれば、何歳であろうが伝えられる。

じゃあ、もし、伝えるべきことがなければどうすればいいのだろうか?
ジャック・ラカンは、「人は知っている者の立場に立たされている間はつねに十分に知っている」と言います。例えば、教師は何か特別な知識や技術があるから教えられるわけではなく、この人は私たちが何を学ぶべきかを知っている、という確信を持つ生徒の前に立つ限り、すでに十分に教師としての役割を果たしています。
つまり、誰だって「ホワイトボードの前に立つ」ならば教える人になれるということです。
『十五少年漂流記』の少年たちは無人島に漂着したのちに、住居と食糧を確保すると、次に学校を作りました。教師となった少年と生徒となった少年たちの年齢差はわずか5才。14才の年長者が、9才の年少者に比べて優れた知識・技能を持っていたとは思えません。でも、年長者がホワイトボードの前に立ち、ワクワクしている年少者に語るだけで学びの場は成立しました。

「ホワイトボードの前に立つ」ことの大切さについて

そして、教育の現場ではとても不思議なことに、年少者が学んだことが年長者が教えたことをはるかに凌駕することがあります。
元生徒「あの時に先生に言われたあの言葉が、とても心に残って・・・、それを突き詰 めるためにこの分野を突き進んで行ったらこうなったんです!」
元先生「う~ん、そんな事教えたかな~(笑)」
こういうことはよく起こり得ます。自分が教えていないことを生徒が勝手に学び取ってい く、こういう教育の可能性を信じていることは教育に関わる人たちにとってとても大切だと確信しています。
だから、語れることがあろうと無かろうと、「ホワイトボードの前に立って」活動報告会をしたいと思っています。Happy!

ジャパンハート 長期ボランティア医師 大江将史

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