活動レポート

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3年ぶりのミャンマー、現地スタッフの想い

up 2023.02.07

2021年2月1日のクーデターからまる2年。学生時代に2年弱を過ごしたミャンマーに、クーデター後初めて訪れることができました。

「ミンガラバー(こんにちは)、Kyawt Kay Khine Soeです。」と、空港に迎えに来てくれたスタッフがあまりに流暢に日本語を話すので、新しい通訳担当かと思ったほどです。
彼女はジャパンハートが活動するワッチェ慈善病院で、吉岡最高顧問の手術助手も務めるドクター。
「内科医志望だが最近は外科手術にも興味が湧いてきた。将来は海外で経験を積み、たくさんの患者を救えるようになりたい。」と言います。

「ミャンマーのことを、もっと世界の人に知ってほしい。私たちにはたくさんのサポートが必要です。」

彼女は、ワッチェ慈善病院の隣にあるお茶屋さんで、胸のうちを明かしてくれました。

ミャンマーのことを、もっと世界の人に知ってほしい。

私がこの国に初めて訪れた2011年は政権交代による民主化直後で、ヤンゴンをはじめ街中が活気に満ちていました。
多くの外国企業が参入して商業ビルが建設され、ATMで出入金が出来るようになり、床に穴の空いたタクシーは中国製の新車に変わっていきました。人々の生活や価値観が、圧倒的なスピードで変化していくことを肌で感じたことを覚えています。

そんな変化の中、私はミャンマー語でタクシーの運転手と10円単位の値段交渉をし、休みの日には散歩がてら屋台で緬料理を食べ、カラオケで現地の友人たちと盛り上がりました。
出張時には大音量でお経が流れる夜行バスで眠り、まだ薄暗い朝5時にバイクタクシーで病院に向かい、寺院で瞑想や掃除をして、朝晩の寒さの中で水シャワーに震える生活も楽しみました。
若者が民族衣装のロンジーではなくジーンズを履くようになったことを、少し寂しいと思いながら。

しかし現在、その多くは出来なくなってしまいました。急激な治安の悪化です。

先日も、日本人男性が襲われる報道が出ていましたが、外国人だけではなくミャンマー人も夜間の外出を控えているといいます。
新型コロナからのクーデター発生に伴い、夜0時から4時までは外出禁止令が続いていますが、現在は窃盗や傷害などの事件が昼夜を問わず相次ぎ、外が暗くなる20時以降は車通りはあるものの、歩く人の姿をほとんど見なくなりました。

公立病院に勤めていた医療従事者は未だ多くがストライキをしており、クーデター後に卒業した医学生の中には、卒業式が出来ず未だ免許の交付がされていない方もいます。
公立学校に通うことを辞め、教育にアクセスすることが出来ないままの子ども達も大勢います。

そのような状況だからこそ、私たちの慈善病院にはさらに多くの患者が訪れ、診察を待っています。
先月2023年1月には、ミャンマー人スタッフが中心となり運営するクリニックがヤンゴンに開設されました。
現地の若手医療従事者たちは、私たち日本人が渡航困難であった間にもそれぞれが見違えるほど成長し、この国の未来に貢献しようとしています。

私たちに、今何が出来るのか?
10年前も、帰国した今も、それを問い続けています。

ワッチェ慈善病院にて、風船が大好きな口唇裂手術前の2歳の女の子とその家族と

▼ミャンマー プロジェクトの詳細はこちらから
ミャンマー

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