2021年2月1日の朝6時前、海外メディアが伝える「アウンサンスーチー氏拘束」の速報を目にしたのが始まりでした。1時間後には電話が不通になり、ほどなくインターネットも遮断され、外部との交信が完全に断たれました。
不安な面影で出勤してくる現地スタッフに指示を出しながら、取れる限りの策を講じ、何も予想できない今後に向けて、覚悟を決めることとなりました。
翌日以降は、街のそこかしこで、軍への抗議が続きました。有名ショッピングモールの広場、国連事務所の前、ヤンゴン市内最大の交差点などに集っては、反意の証である「三本指」を掲げ、アウンサンスーチー氏が党首を務めるNLD(国民民主同盟)の応援歌を歌うのです。
当初は静観していた軍も、2月の半ばを過ぎたあたりからは露骨な暴力で押さえ込みにかかり、死傷者の数が一気に増えていきました。
国民の反軍意識は、公務員の一斉ストライキや、銀行の業務ボイコットといった形でも現れました。その結果、医療・教育・経済機能が停止し、社会はさらに混乱していきました。
特に、経済への影響は深刻でした。世界銀行が発表した2021年度の経済成長率は-18%。国連は、2022年には国民の半数が貧困化すると予測しています。
*日本からのオンライン理科実験に見入るDream Trainの子どもたち
2022年2月1日は、全国で「サイレント・ストライキ」が行われました。すべての労働者が働きに出ず、「沈黙の反抗」を実施するというものです。この日のミャンマーは、確かに沈黙に包まれていました。
2月12日の祝日には、朝からインターネット回線が遮断されました。ミャンマー独立のための国内合意が交わされた歴史的記念日であるこの日に、国民が「よからぬ動き」をするのではないかと考えた軍が行ったものです。
停電も深刻化し、1日の大半を電気なしで過ごさねばならない地方も出ています。インド国境部では空爆が続行。タイ国境では難民が増加の一途を辿っています。また、物価上昇に加え、オミクロン株の市中感染も驚異的な速度で広がっています。
クーデター発生から1年、事態好転の兆しは、何ひとつないというのが実情でしょう。そのような混沌の中、知恵を絞り、気を張って、ミャンマー事業部ではできうる限りの事業を続けてきました。
たとえ社会がどう揺れ動こうとも、一寸先が何も見えなくとも、「今ここ」にいる意味を考え、たとえわずかであっても現実をよくする可能性に賭けて、これからも活動に打ち込む所存です。
*停電下でも手術を続ける医療チーム
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