ミャンマーワッチェ慈善病院長期ボランティア看護師の加藤です。
いつも活動レポートをご覧いただきありがとうございます。今日は、私のコロナ禍の1年についてお話しさせていただきます。
2020年3月末、ミャンマーでも平常通り手術活動が行われていました。そしてその手術活動期間中、ミャンマーでも1人目の新型コロナウイルス陽性患者が確認されました。
新型コロナウイルスにより世界が混乱の渦に巻き込まれていく中、各国が出入国制限をし、フライトも次々と欠航になっていきました。最高顧問・吉岡秀人が搭乗予定だったミャンマー発のフライトも欠航になったため、出発日の変更が迫られ、しかもそれは、当初の出国予定日の1日前となってしまいました。
手術のスケジュールはギリギリまで詰まっています。1日短くなった吉岡の滞在期間中に、予定している患者さん全員の手術を終えなければならない。結局、スタッフ総力を挙げて夜通し手術が行われました。朝日が昇り出発時間が迫る中、何とか全員の患者さんの手術を終えることができました。
翌月には、ワッチェ慈善病院に常駐する日本人スタッフたちが次々に帰国することになってしまいました。任期終了や新型コロナウイルスの影響など理由はさまざまではありますが、結果、日本人スタッフはワッチェ慈善病院には私1人となりました。これまで通常、日本人医師や看護師が5名程度常駐していました。そこに加え、月1回の手術期間中には日本からたくさんの短期ボランティアの皆さんが活動に参加してくださっていましたので、日本人1人で長期間滞在するのは私には初めての経験でした。
ミャンマーは当時、新型コロナウイルスの患者さんは多くなく、状況は落ち着いていましたが、日本では緊急事態宣言が出されるなど医療現場は非常にひっ迫していました。日本が大変な状況の中、私は何もすることができない。日本人の看護師として日本の医療の力になれないことへの葛藤がありました。しかし、私にはミャンマーに残ってやらなければならないことがある。そう思い直し、ワッチェ慈善病院での感染対策などに取り組みました。
*ミャンマー人スタッフらとともに感染対策講習を行う(写真左が加藤)
日本やミャンマーのガイドラインなどを読み、諸先輩方々からアドバイスをいただき、ミャンマー人スタッフとともにここの病院での感染対策について話し合いました。話し合いの中で意見がぶつかることがあったり、また根本的な考え方の違いなどが見えてくることがあり、ミャンマーの医療のこと・ミャンマーのこと、まだまだ理解が足りなかったと反省することが多くありました。
ここでの活動を積み重ね、ミャンマーのことを自分なりに少しずつ理解できるようになったつもりでいました。日本人1人になったことでこれまで以上にミャンマー人スタッフたちとコミュニケーションをとる時間が自然と増えたことにより、ミャンマーやスタッフたちのより深いところまで、また少しずつですが見えてきたように思えます。
私にとってのこの1年は正直楽しいことよりつらく苦しいことのほうが多かったような気がしています。しかし自分にとって必要な1年、特別な経験をさせてもらった1年だとも感じています。そして、そんな中でもいつも支えてくれていたのはミャンマー人のみんなでした。私自身のこと、日本のこと、常に気にかけ声をかけてくれました。
「日本はどう?家族は大丈夫?家族と連絡とってる?」
「日本人一人で寂しくない?大変だよね。何かあったらいつでも言ってね」
いろいろなことがあるけれど、この人たちがいるから私はここで頑張れるんだと改めて思いました。
現在も新型コロナウイルスの影響、そして政治的な問題を抱えているミャンマー。
この1年、手術活動や僧院往診など出来うる活動を一生懸命おこなってきましたが、それでも以前のような活動は、まだ完全には行えていません。そして日本人医療者が渡航できる見通しも立っていません。
まだまだ私たちで頑張っていかなければなりません。私たちジャパンハートとしてミャンマーの人々のためにできることを続けていきますので、是非今後も引き続き、ミャンマーに関心をお寄せいただければ幸いです。
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