「マカンブー(良くないよ)」とつぶやき、彼は目を合わせなかった。
在ミャンマー日本国大使館とミャンマー元日本留学生協会(MAJA)との共催で、「第19回日本語スピーチコンテスト」が開催され、DreamTrainの男子大学生が敢闘賞を受賞した。
「おめでとう!」を伝えたときの彼の返答だった。
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☆当日の動画を、ぜひご覧ください(手振れにより見辛く申し訳ございません)↓
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きっかけはDreamTrainスタッフ 那須田からの「日本語スピーチコンテストがあるみたいだけど、子どもと一緒に聞きにに行ってみませんか?」というお誘いだった。
聞きに行くだけか…もったいないな…。と思った。「誰か出ないかな?」
兼ねてから日本語を熱心に勉強している男子大学生と女子大学生にダメもとで出場を打診した。
「(日本語能力試験)N-3を合格したら次はN-2受験だよね。日本語スピーチコンテストは良い学習の機会になるよ。出場してみない?いっしょにがんばろう!」
「えー!!恥ずかしい!」「無理です。駄目です!」「考えさせてください。」との反応。
ダメかなぁ?と思い、あきらめていた翌日…
ナント、
二人とも「出ます。」と笑顔で言った。
「誰か出ないかな?」と確かに思った。
でも…本当に「出る」というなんて..
しかも二人とも!?
正直焦った。
「今日は7月10日で….えーっと、予選が8月11日…」「えーー!!??時間がナイ!!」
それからそれぞれに長い長い原稿を書いてもらった。
曖昧な内容を質問攻めにして修正していった。
何度も何度も一緒に規定発表時間の3分以内に原稿を作り直していった。
たとえ準備期間が短くとも、せっかくシャイなふたりが覚悟を決めてくれたんだ。
思いっきりがんばろう!
「今まで生きてきた20年の中では辛いことも楽しいこともいっぱいあったよね。みなに聞いてもらいたいこと上位3位を話そう」
彼らには話したいことがたくさんあった。
・ジャパンハートのこと。
・吉岡秀人ジャパンハート創設者のこと。
・DreamTrainのこと。
・豊かではなかった生育歴。
・家族のこと。
・熊田元ミャンマー女子サッカー監督との出会い。
・サッカーのこと。
・DreamTrainの子どもたちに対する思い。
・学校で勉強を頑張ってきたこと。
・日本で働きたいという願い。
・日本語を頑張っていること。
・里親さんや日本人たちへの感謝。
スピーチする内容を検討していく中で、普段話さなかったことをたくさん話してくれた。
そしてそれぞれの個性あふれる原稿ができあがった。
そこからスピーチの猛特訓。
DreamTrainの職員の前ではもとより、日本人来客者やDreamTrainの子どもたちの前で何度もつまづきながらスピーチの練習をした。
そしていよいよ予選の8月11日。
ヤンゴン予選の参加者は約80名。マンダレー予選参の加者は約20名。総勢約100名。
予想以上の応募者だった。(昨年の応募者は49名)
そこから本選出場を勝ち取られるのは15名。
その本選出場者に選ばれたのが男子大学生であるHtunHtunNaing20歳だ。
もちろん本選出場を願ってはいたが、本当に本選出場ができたことに正直驚いた。
女子大学生は惜しくも予選落ちしてしまった。
本選出場者の中には日本で就業した経験があったり、留学経験者や大学で日本語を学んでいる学生などがたくさんいた。
日本語塾にも行かず、日本人ボランティア中心に日本語を教えていた彼とのバックグランドがあまりにも違いすぎる。
ただ、本選出場者に選ばれたことで変な自信もついた。
頑張れば結果がついてくるんだ。
よし!もっと頑張ろう!
そこからまた本選に向かって猛特訓が始まった。
そして迎えた本選当日
華やかなホテル。
たくさんの観客。
ミャンマー大使や元ヤンゴン大学の日本語教授を始めとする立派な審査員の方々。
発表前にぽつりと彼は言った
「怖いな…足が震える….」「本当は出なかった。(出るつもりはなかった)」
「でも….」それ以上は聞くことができなかった。
そしてスピーチ。
今まで練習した中で一番立派だった。
堂々としていた。
勇敢だった。
そうだよなぁ。彼は生まれた時から逆境に立ち向かって頑張ってきたんだもんなぁ。と感動の涙がこみ上げてきた。
もう、十分だよ….
ところが!順位発表では敢闘賞をいただけた。
正直びっくりした。
本選参加も夢のような出来事だったのに敢闘賞をいただけるなんて…。
ところが、そんな大人たちの感動を尻目に冒頭の彼の反応。
「入賞したかった?」という問いに無言だった。
そういえば、日頃から妥協を許さずとことんまで頑張る彼の性格を忘れていたなと思った。
やるなら必ず成し遂げる。
それが彼のやり方だ。
悔しかっただろうな。
でも、その自分の限界に立ち向かおうとする彼の不屈精神こそがこれからのミャンマーを発展させていくのだと確信できた。
スピーチコンテスト終了後に本選出場者全員が丸山市郎ミャンマー大使邸での午餐会に招かれた。
帰ってきた彼の表情は明るく、いつもの人懐っこい笑顔で、生まれて初めて経験した午餐会の話をしてくれた。
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・ゴールさえ示せば全力でそこへ向かっていく子。
・「オイッチニオイッチニ!」と一緒に並走し、掛け声が必要な子。
・スタートするまでに時間がかかるけど、走り出したら見守るだけで十分な子。
・「ゴールって何かわかる?」「マティーブー(知らなーい)」「ゴールっていうのはね」と教えるところから始めないといけない子。
・「まずはここに座って。話を聞いて」と逃げ出すのを制止して話を始めなければいけない子。
さまざまな子どもたちの個性が爆発しているDreamTrain….
今回の彼はとても優秀で、ゴールさえ示せば全力でそこへ向かっていく立派な青年だ。
でも彼もまた最初からそんなに立派ではなかったと私に話した。
子どもたちとともに、悩みながら立ち止まりながら155名の個性を育むことができる環境を作れたらと思う。
今回の素敵なエピソードは、私たちにたくさんの頑張る力と学びの機会を与えてくれた。
いつも子どもたちが学ばせてくれる。
あらためてそう思った。
そして、日本語スピーチコンテストの予選に落ちたことに実は涙した女子大学生。
大会翌日「落ち込んでいないかな?」と心配して声をかけると….
「来年もう一度スピーチコンテストに出ます。」
やはりDreamTrainは可能性の宝庫です。
DreamTrain 看護師 太江田 裕子
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スピーチコンテストの感想
HtunHtunNaing
最初に日本語スピーチコンテストに誘われた時は、自分にできるのか?と思いました。
コンテストは私にとって初めてだったのでとても緊張していました。
なので予選までのあいだ、大学で何度も練習しました。
また、発表当日緊張しないように日本人の前や子どもたちの前でもたくさん練習しました。
予選の発表の時、「僕にできるのか?」と思いました。
怖くて膝がガクガクしました。
でも15人の中に入ってとても嬉しかったです
本選の練習もたくさんしました。
何度も「もうダメかも…」と思ったり、「いいえ!予選より頑張ることができる!」と思ったり,,,
そして本選当日…
メリアホテルは広くてとても立派でした
練習の時、過去のスピーチコンテストをYUTUBEでたくさん見ました。
まさか自分がそんな場所に立っているなんて…夢のようでした。
とてもドキドキしました。たくさんの人の前で怖かったです。
発表はセリフを忘れることなくうまくできました。
失敗するかも??と思っていたのに…
本選の出場者は15人とも、とても上手でした
そんな上手な人たちと戦って熱心賞をもらいました。
それは本当に幸せなことですが、私はもっとたくさん頑張らなくてはと思いました。
コンテスト終了後日本大使宅に行って、日本人たちと昼食を食べました。
とても楽しかったです。
夢のようでした。
今後、またこんな大会があったら日本語をもっと勉強してもう一度チャレンジしたいです。
私を応援してくれたDreamTrainの先生がたと子どもたちと日本人のみなさん、ありがとうございました。
本当に心を込めて言いたいです。
私はとても楽しかったです。
(帰宅後、お祝いの様子。太江田さんと)