サバイディー!ラオス事業代表の杉山です。
2021年度も上半期が終わりました。
前年度は新型コロナウィルスによる打撃をラオスも受け、ほぼすべての活動がストップするという状況になりました。そんな中でも現地スタッフが踏ん張り、患者さんと事業そのものを守り続けてくれました。
▼詳しくはこちらの記事をご覧ください
ラオス事業の現状~日本人職員がいない中で~
そして今年度に入り、ようやく活動を再開させることができたのですが、それはこれまでの形とは大きく違い、日々変わる情勢に振り回されながらの活動となりました。
今回のレポートでは、そんな上半期を振り返ってみたいと思います。
「ラオスにいる」ということの大変さ
コロナ禍となり、まず初めに違いを実感したのが「入国」の大変さです。
これまでは比較的容易に入国ができたラオスですが、コロナ以降は短期滞在目的の入国を中止し、長期目的の滞在申請も全て出発前に行われることになりました。
ただそれだけなら良かったのですが、入国用のVISAを取るためには3ヵ月ほどの期間を要し、さらには出国日が決まっていたり、PCR検査で陰性が必須だったりと、様々な条件を課せられるようになりました。
入国のためにはVISAが必要で、VISAを取るためには航空券が必要で、それでもVISAが取れなかったり間に合わなかったりしたら航空券は無駄になる。
そんな理不尽な条件下の中で私自身も2度、直前で出発を断念するなどのアクシデントにも見舞われました。
その国に入国し、留まる。それだけでも大変で、だれかの協力なしにしては出来ないことなのだと実感しました。
当時は相当イライラしたものですが、入国予定者の入国が無事に叶った今となっては、大変良い経験が出来たと思っています。
▼詳しくはこちらの記事をご覧ください
陰日向で支えてくれるスタッフたちへ感謝を込めて~コロナ時代に国を超えるということ~
情勢に振り回されながらも・・・
「この書類を提出したら活動をしても良いですよ。」
数日後
「この書類では許可は出せません。これとこれが必要です。」
「あと×日で申請が完了します。」
×日後
「申請はまだ終わっていません。あと1カ月かかります。」
コロナ禍になり、特に政府関係者との間でこんな会話が増えたように感じます。
ラオス政府としても初めての対応に追われる中で、いろいろと大変だったことは重々理解していますが、プロジェクトを進めたい私たちとしては、正直ストレスが募る日々でした。
ロックダウンや越県・入県の制限、何重にもなっている申請ステップ等々、様々な「新たな手続き」が出現し、その内容が日々変化してしまう。そんな中で活動を行うことは非常に難しかったです。
6月末に1年ぶりの手術活動を行いましたが、それも本来の想定より少ない患者さんに対しての手術しか行うことが出来ませんでした。
我々が来るのを待ってくれている患者さんがたくさんいる中で、ルールや申請に左右されて思うように動けないという状況には、もどかしさでいっぱいでした。
それでも、泣き言を言っても始まりません。
オフィスの仲間たちをお互いに励ましあい、チーム一丸となって、今できることを全力でやるということに集中しました。
正直なところ、以前は何かとすぐに弱音を吐いたり、お手上げ状態になったら諦めてしまったりしていた現地スタッフも、この半年で忍耐強くなったように思えます。
患者さんに対する申し訳なさは拭えませんが、思わぬところでスタッフの成長を見ることが出来ました。
▼詳しくはこちらの記事をご覧ください
「できない理由」の反対側に見えるもの
逆境の中にいるからこその挑戦を
1年ぶりに手術活動を行うことになり、とにかく問題となったのが人員の確保です。普段は日本からボランティアで医師や看護師に参加してもらい、活動を行っています。
しかし、コロナ禍では先述の通り入国すらままならない状況があり、それらの方々をお呼びすることが出来ませんでした。
それでも、患者さんやプロジェクトの期間は待ってくれないため、何かしらの方法を考えなければならないという状況に立たされました。その時に浮かんだのが、ビデオ通話を使ったリモート監督による手術活動です。
日本にいる医師にビデオ通話で手術の様子をお見せし、リモートで監督をしていただく。
万全を期すために、首都の病院の経験豊富なラオス人医師を応援としてお呼びし、患者さんも比較的リスクの低い方を優先的に行う。
そのように体制を整え、本プロジェクト初の「日本人医師不在」の中での手術活動を行いました。
人の命や人生に関わる活動だからこそ、とりあえずやってみようは通用しません。それでも、ただ立ち止まっているわけにもいかない。
1年以上待ってくれている患者さんのためにも、出来得る限りの準備をし、安全を確保した上で活動を行うという選択を私たちはしました。
きっと、医療スタッフには私とは比べ物にならないほどの大きな葛藤があったと思います。それでも勇気を出し、泣き言一つ言わず、患者さんのために最大限の努力をしてくれたことには、頭の下がる思いでした。
そんな準備の甲斐もあって、手術活動は無事成功。患者さんの笑顔を見た時の安堵感や満足感は、これまでで1番だったかもしれません。
もちろんこの形を継続することがベストな方法ではないと思います。それでも、今の状況の中でベターな方法を探し、できることをする。
いつもとは違った活動の中で、ジャパンハートの原点を見たような気持ちにもなりました。
▼手術活動の様子について、詳しくはこちらの記事をご覧ください
https://www.japanheart.org/reports/reports-laos/210720.html
最後に私事ではありますが、この度ラオスを離れて東京事務局へと異動になりました。
今後は日本から、ラオスを含む全事業地のサポートを行ってまいります。
ラオス事業は今、成長の真っただ中にあります。現地スタッフも関係病院の医療者も成長し、日本人のサポートなくとも出来ることが増えてきました。
ミャンマーやカンボジアの活動に比べればまだまだ小さな事業地ではありますが、追い付け追い越せの想いで活動を行っております。
歴史は浅くとも、スタッフの数は及ばなくとも、チームワークの良さと、1人1人の活動に対する思いなら、どの事業地にも負けないと自負しております。
どうか今後ともラオス事業、そしてジャパンハートの活動を応援していただけますと幸いです。
海外事業部 杉山智哉
内科診療や手術活動の様子は動画でもご紹介しております
よろしければご覧ください!
▼プロジェクトの詳細はこちらから
ラオス | 北部・ウドムサイ県での甲状腺疾患治療事業並びに技術移転活動