ジャパンハート長期ボランティアでカンボジアで医師をしている森田です。
今回、ラオスの「ウドムサイ甲状腺治療技術移転プロジェクト」を引き継ぐにあたり、感じたことをレポートさせていただきます。
診療活動を終えた帰りの飛行機の中、ふと見下ろせば広い山岳地帯が広がっていました。ここで生活する人々がちゃんとした医療を受けるために、必要なことは何か。どうすれば、言葉や文化の壁を超え、医療を伝承していけるようになるのか。これからのラオス甲状腺外来を任された私は、なんだか果てしない道のりを歩いていかなければならないようで、どうしたものかと考えていました。
先日ラオス、ウドムサイ県の甲状腺内科診療活動に参加しました。
この活動は医療過疎地であるラオス北部の山岳地帯に住む人々で、特に甲状腺疾患を持つ方に対して、定期的に診療を行い無償で薬を提供すると同時に、現地医療者に甲状腺治療技術を伝えるという「ウドムサイ甲状腺治療技術移転プロジェクト」です。
私はこのプロジェクトに初めて参加したのですが、以前からこの活動に携わっている、長期医師ボランティアの大江先生にとっては、今回が最後の活動となりました。活動前から「ラオスの甲状腺外来を引き継ぎたい」と言われていました。
私は普段、カンボジアで診療活動を行なっており、様子を聞けば、ラオスの甲状腺診療も似たような状況であるように感じました。基本的な甲状腺機能の検査はできるがお金の関係で頻回の検査はできず、またそのほかの特殊な検査や針生検(針を刺して癌かどうかを調べる検査)ができないことは同じで、基本的な診療のやり方はいつもと変わらないから大丈夫だろう、と考えていました。
今回の活動はコロナウイルスの影響もあり、少し特別な状況となりました。
現地の政府から
・人が集まる状況を避けること
・コロナウイルス感染流行国から来た医療者の活動は禁止
などの活動制限を受けました。
現地スタッフはその他にもコロナウイルスの対策として、患者に事前に症状や海外渡航歴などを電話で聞いたり、現地で感染対策を行なったりと様々な調整をおこなっており、自分が診療を行うために様々な準備をしてくれているという当たり前のことに改めて気づかされました。
活動を振り返ると、私は目の前の患者を診るのに精一杯でした。一方で大江先生は英語が伝わらないラオス人ドクターに通訳を介して説明をし、一緒にエコーを行っていました。ラオス人ドクターからも信頼され堂々と活動される様子は、とても眩しく私の目に映りました。
自分で学び、自分で診療する方がよっぽど楽なのです。後輩の指導を日本語で行うことすらとてもエネルギーを使うのに、言葉が違いなかなかうまく伝わった気がしない上に、相手の文化に気を遣いながら教えるのは、ため息が出そうになることです。それでも大江先生はひたすら伝え続けていました。ラオスに縁などないはずなのに。
大江先生と参加できたからこそ、私はウドムサイのことをよく知ることができたと思います。早朝にウドムサイの町の中を一緒に走り、細やかな身体診察の方法を教えていただきました。そこで私は、ウドムサイの人々の生活を垣間見ることができました。
朝早くから家の周りの道路を掃除する人々。診察で気づいた、たくさんの仕事によって荒れてしまった掌。家族の病気の様子を心配そうに尋ねる付き添いの表情。そこで奮闘するドクターの姿。それぞれが家族や街を守るために生活している。なぜか私はウドムサイの人々や町を、近い存在に感じるようになりました。私はこの人たちの生活がちゃんと続くように、力になりたいと思う。
私にできることはほんの小さな手助け程度だろう。しかし私は、すでに大江先生が積み重ねてきたものを引き受けてしまいました。この小さな積み重ねがラオスの人たちの生活を少しでも豊かにし、幸せをもたらしてくれるのだと信じて、私も積み重ねていき、そして後に続く人へ引き渡さねばならない。私たちが行なっていることはラオスの山奥の小さな町の中だけのことだが、こうやって受け渡していくことは、おそらく人類が医療をより高めながら伝承してきたのと同じ方法なのかもしれない。
ジャパンハートは「医療を届ける」団体です。医療とは伝承されていくものだと定義するのならば、「医療を届ける」とは患者を治療するだけでなく、伝承されるべき医療を残していくことも含まれるのではないだろうか。私はそう思います。
大江先生のおかげでラオスが好きになりました。私は口下手で、説明が下手くそなのですが、私なりに積み重ねていき、自分の精一杯を込めて次の人へつなげていきたいと思います。
ジャパンハート長期ボランティア 森田皓貴