2021年6月、クラスター支援として沖縄県の高齢者入居施設で2週間活動に参加しました。
私はジャパンハートiER(国際緊急救援)災害ボランティアに登録し、普段は病院で看護業務に従事しています。
iERの登録はジャパンハートの「医療の届かないところに医療を届ける」という理念のもと、看護師として何かできることはないか、少しでも誰かの何かの支えになれたらという思いで登録を行いました。
今回、所属病院の許可を得て活動に参加し、限られた期間の中で日々悩み考えながらの活動でした。
発生から約1週間が経過後、ジャパンハート看護師2名の支援が始まりました。私は主に、入居者さんの健康管理や現場のマンパワーとして支援に入りました。
施設スタッフは人員不足のため、同じ方が連日の夜勤や、夜勤明けも残り日勤の業務をされたり、本来の持ち場ではない場所で勤務をされたり、限られたスタッフで協力しなんとかこの場を乗り切ろうと必死な様子が伝わってきました。
梅雨真っただ中の蒸し暑い中、マスクやガウンの着用は汗だくになり体力を奪うものでもありました。
日々頑張っているのに入居者さんの状態が悪化したり、新たな陽性者が出たり、先が見えない状況の中、スタッフの方々の時折見せる表情が険しかったり、入居者さんのわずかな変化にも敏感になり、体力も気持ちも限界を超えている心情が窺がえました。
その中で、スタッフの方々から疑問やご質問を下さったり、勤務中の不安やご家族へのことなどたくさんの思いを話してくださったりする機会がありました。
自身が手術後で感染に対する不安や、自宅に帰れず家族に会えないなど、それぞれが様々な思いを抱えて業務にあたり収束に向けて頑張っている姿を目の当たりにしました。
どのように関わるべきか、私は話を聞くことや受け取った質問等にリーダー看護師と共に一つひとつ丁寧に返答を行うことしかできませんでした。
スタッフの方々はご自身がつらい時も、忙しいときも、入居者さんの前では笑顔で接しており、急かすようなことは一切されず入居者さんのことを1番に考えている姿に心を打たれました。
徐々に救急搬送のできる病院が限られ、入居者のお一人は状態が悪化し病院ではなく施設でのお看取りの方針となりました。
この入居者さんのご家族は、コロナの感染が拡大する前までは毎週ご面会に来られていたとお聞きしました。
コロナのためずっと面会できておらず、最後に一目でも会いたいというご家族の思いや、会ってもらいたいというスタッフの思いがありましたが、クラスターが発生している施設内で直接面会はできない状況でした。
居室は大きめの窓で、居室の外は屋外の廊下があり、スタッフの方とベッドや物の位置を動かし、お互いのお顔が見やすいように配置を変え窓越しに会ってもらうこととなりました。
入居者さんは酸素マスクをされ呼吸が苦しい状態の中、ご家族のお顔が見えた時素敵な笑顔で手を振られ、それに答えるようにご家族も笑顔で涙を流されながら手を振られていました。
窓越しで声は聞こえにくかったと思いますが、お互いの思いは通じたような時間を過ごされ、ご面会された2日後に入居者さんは息を引き取られました。
葬儀場や火葬場はコロナ陽性のご遺体が多数のため、すぐに受け入れができない状況でした。
ご遺体は納体袋に入れられ、棺に納められ施設内で数日間静かに安置されることとなりました。
そして同じ頃、以前に活動を共にしたジャパンハート看護師のご親族の方(他県)がお亡くなりになり、臨終の際もごく限られた家族しか立ち会えず、お亡くなりになった後、近くの火葬場は1週間以上の空きがなく、数件探して遠い場所で火葬してくださる場所がやっと見つかったそうですが、それでも火葬まで4日かかるなど現状のリアルな報告がありました。
日本の各地で同様の事が起きており、病院や施設だけでなく様々な場所や人がコロナの影響を受けていることを実感しました。
施設内はまだ支援が必要な状況でしたが、期限の2週間が経ち心残りではありましたが支援から離れることとなりました。
後日、活動を共にしたリーダー看護師から元気になられた入居者さんのことや施設での活動を終ることができたことの報告がありました。
無事に活動を終え収束をむかえることができたのは、体調を気遣い、心温まる言葉をかけ支えてくださったスタッフさんや、関わったすべての方の努力のおかげだと思っています。
これからも自分に何ができるかを問いかけ、ひとつひとつの出会いを大切にしながら活動を続けていきたいと思っています。
ジャパンハート看護師 梅津 千枝
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