ジャパンハートのクラスター支援班は、新型コロナウイルス感染症拡大第3波直前の2020年10月、5名の看護師で結成されました。
当時は感染症の素人だった私たちが、現場で闘い傷ついていく医療者を支えるため、とにかくがむしゃらに「なんでもやる」「要請を受けたら断らない」「見捨てない」という想いで走り続け、10か月が経過しました。
ジャパンハートが2020年4月にクラスターとなったコスタ・アトランチカ号で初めて後方支援を実施してから、2021年6月末までに支援したケースは、実に全国13都道府県、36都市、75か所にものぼり、その間にメンバーは増え続け、派遣者数はのべ計240名を超えました。
NPO法人として、最もクラスター施設を「支援」してきたと自負しています。
今では、各メンバーが複数のクラスター支援経験を持ち、識者から「最後の砦」と称されるまでに至ったのは感慨深いものがあります。
7月6日、第4波最後の支援地である沖縄県での活動を終え、チーム結成以来ほとんど休まず続けてきた夜20:30からの隔日全体ミーテイングも終了。活動日数にして208日、ミーテイング回数117回。
「自分たちが立ち止まれば、あるいは判断を間違えれば、失われる命があるのかもしれない」という恐怖とストレスで、食事と睡眠が満足に取れない時期もありました。
私ですらそうなのだから、現場の医療者にかかる負担は想像を絶します。全員が、ただ使命感だけで走ってきたような日々でした。
先日、そんなジャパンハートの東京事務局に、一通の手紙が届きました。
支援をさせて頂いた病院にお勤めの先生から、ジャパンハートの支援に対する感謝の想いをご連絡頂いたのです。
「なかなか患者さんの受け入れ先が決まらなかったり 院内職員からも文句を言われたりするような戦場の中へ、病院職員でも、市や県の役人でもない方 ― 同じ人間であるということ以外に何らの義務もないような方 ― が飛び込んで来て下さるということに、『世の中、捨てたもんじゃないな』と癒されたのは、決して私ひとりだけではなかったはずです。」
「単に人手が足りないというだけではなく、明るいニュースが足りていなかった当時の私たちにとって、あのタイミングで皆さまがお越し下さったということは 労働力が二人分増えるということとは全く違う次元で大きな力だったのでした。」
このお手紙を拝読した時、この仕事をやっていて本当に良かったと思いました。
私自身がなぜジャパンハートにいるのかと言えば、「自分の生まれた社会を好きになりたいから」です。
もしも自分が自然災害の被災者だったとき、あるいは途上国に生まれていたら、誰も手を差し伸べてくれない社会は、あまりにも辛すぎる。
多くの方が、この未曾有の危機に対して「力になりたい」と考えていても、所属している組織や個人の事情でそれが叶わないことも多いでしょう。その意味で、このような事態に多少なり行動でき、社会の力になれていると実感できる仕事をしていることは、本当に幸運だと思います。
「NPO支援」「ボランティア」とは、「かわいそうな人たちのために、恵まれた人が行う活動」ではありません。
「自分と家族の幸せのために、自分が生まれた社会をより良くするための活動」であり、私たちはセーフティネットを自らの手で作っているのだと、改めて実感しています。
現在、全国を飛び回ってきたメンバーはようやく自宅に帰り、身体を休めながらも次の波に備えているところです。チャンスをくれた団体と、そして現場で活動するチームのメンバーに、心からの感謝を伝えたいです。
iER事業部長 高橋茉莉子
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国際緊急救援(iER) | 新型コロナウイルスと闘う人々を支え、医療崩壊を防ぐ