本活動レポートは現在、カンボジアでボランティアとして活動して下さっているベテラン調理師小山善三さんが書かれたものです。小山さんはカンボジアのジャパンハートの医療活動を支えるため、コロナ禍の入国後14日間の強制隔離を経て現地入りしてくださり、現在、栄養管理事業のサポートをして下さりながら、活動地の医療スタッフの大きな支えとなって下さっています。そんな小山さんがカンボジアでの活動を通して感じていることをレポートしてくださいました。ぜひご覧ください!
「お食事処 こやま ウドン店 顛末記1」
僕たちは、生まれてきて、死ぬまでの壮大な暇潰しを、必死でやっている。
その長い時間に、神から課された課題は、ただ一つ「ホモ・サピエンス」という種を存続させることだけである。本来は、人間には、それ以外に、生きる意味なんてない。残りのことは、全て余計なことだ。
だが、生まれた場所ごとに、生きられる時間に違いがある。(参照1)
日本で生まれた人は世界一年齢の中央値が高い。
サハラ以南のアフリカでは、生きて20年を迎えられることが珍しい。
ここカンボジアでは24.4歳だ。つまり、今だけを切り取れば「オギャー!」と生まれた赤ん坊の半数は24.4歳までに死ぬ。日本人とは、30年の違いがある。
もちろん、カンボジアには、30年前までの暗黒の歴史がある。この国の問題の全ては、この影響を避けることはできない。(参照2)
だが、これは断言できる。
医療はもちろんだが、社会が発展し、衛生環境や栄養状態が改善されれば、子どもが死ななくなるのだ。子どもが死なない社会は、それだけでOKだ。あとは、本人たちの努力次第。そこに外国人が関与する余地はない。浮ついた連中が大好きな「SDGs」にも、そう書いてある(SDGs自体は、立派な提言だと思っています)。
僕は今56歳で、もうすぐ、日本に帰る前に、57歳になる。
呆れたことに、57年も、暇潰しをやってきた。その過程は、実に面白かった。高度成長期に育ち、いま思えば実に暴力的だった季節を潜り抜け、バブルの直前に社会人になり、20代のうちに日本国の経済指標は、相対的絶頂を迎えた。存分に、その全ての恩恵を享受し、24時間働いて、24時間遊んだ。
子どもを3人育て、それなりの大人に仕立て上げた。
過去6年間で7回の手術を受け、甲状腺と周辺視野を代償に差し出し、死なずに済んだ。
暇つぶしは、延長戦に入ったのだ。
このまま、穏やかな老後を迎えるのか・・・と思うと、絶望的な気分になる。
どうせ暇潰しの延長だ。ほんとに暇になって、どうする?
死んだように生きるくらいなら、生き切って死んだ方が、性に合っている。
そんな時、僕が必死で暇潰しを繰り広げていた同じ時間に、僕より少しだけ若い男が、「ホモ・サピエンスの命題に、実に役に立つ暇潰し方法」を見つけて、取り憑かれていることを知った。
何しろ「子どもを死なせない」ことに、リアルに子どもが死んじゃう所で、ひとりで取り組み始め、ずっと続けているらしい。
そして、そいつはカンボジアの田舎町に自分の病院を手に入れて、そこでカンボジアでは2例目の病院給食を始めたらしい。これは、見に行ってみて、面白そうな男なら手伝ってやろう。そいつについて行ったおかげで、鶏の唐揚げのひとつも食えないで頑張っているであろう医者や看護師や助産師やNGOスタッフ、ボランティアがいたら、日本食らしきものを食わせてやろう。そうすれば、きっと僕の延長戦も面白くなる。
もし、そいつらが、僕が一番気に入らない「可哀相な遅れた国の貧乏な連中に、私が先進国で身につけた最新の知識と知見と技術を授けに来てやった」ような連中なら、誰もいないアンコールワットを観て、とっとと帰ればいい。そう思って、下らないコロナ騒ぎを押しのけて、ノコノコとやって来た。
14日間の強制隔離を終えて、ホテルまで迎えにきたむさ苦しい若い男性スタッフに「僕は飯が作れる。何を食べたい?」と尋ねた。彼は「それはありがたいのですが、それよりもお願いしたことがあります」と丁寧な言葉遣いで言う。
『まさか、カンボジア人調理師に日本食を教えろなんて言うんじゃないだろうな。料理人は職人だ。俺らにはプライドがある。カンボジアの料理人だって、それは同じはずだ』と思っていた。
彼は「調理場の衛生環境を改善したい。日本食作りは後回しでいいから、安全で、必要な栄養バランスが保てる給食を作る環境を実現してください」と言った。
着いた翌日から、早速ミッションは始まった。給食センターの調理場に入り、現地スタッフと一緒に鉈のような包丁を握り、鶏の骨を叩き切り、魚をぶつ切りにし、豚肉を包丁でミンチにした。見たことのない木の枝のような野菜を引きちぎり、延々と生姜を千切りにする。何を作っているのか、さっぱり分からないまま、調理は進んでゆく。魚はカリカリになるまで素揚げにされ、ムスリム対応のために豚肉は厳密に峻別されて調理される。
タオルは、どこを拭くのにも同じものが使われ、包丁とまな板を保管する立派な日本製消毒保管庫の中からも、虫の死骸を見つけた。
それでも、去年の2月に1日だけ見学にきた時よりも、随分良くなってはいた。もちろん、外で見る屋台や食堂の調理場に比べれば、随分とマシな方なのだが・・・
最初の調理スタッフミーティングの冒頭で、こう述べた。
「君たちの作る料理は美味い(本当に美味いのだ。ぜひ、食べに来て欲しい)。だから、料理に関して、僕が教えることは何もない。だが、ここは子どもの病院だ。このままでは、いつか必ず事故が起こる。医療によって病気から救われた子どもが、我々が提供した給食のせいで、食中毒で死ぬ。そんなことは、絶対に起こしてはいけない。それが全ての料理人の、世界共通のプライドのはずだ」
彼らは、その後の話を真剣に聞いてくれた。
「まずは、仕事の行き帰りに、制服を着てはいけない。私服で来て、ここで着替えるんだ。それから作業中は、必ずバンダナを頭に巻いてくれ。口にはマスクをつけてくれ。最初はそれだけでいい。細かいことは、順番に決めてゆく。意見があったら、いつでも言ってくれ。僕は神様じゃない。僕の言うことは、完璧なんかじゃない」
スタッフは、その日以降、全員が私服で来て、制服に着替え、バンダナとマスクをつけてくれている。ついでに、虫の巣の探し方と、その潰し方も教えて、一緒に探し回った。
そこからは、僕が約束を守る番。事務局に掛け合い、いくつもの調査書や報告書や予算申請書、挙句の果ては、今後数年間の栄養管理部の方針を決める叩き台になる文書までも、栄養管理部リーダーと相談しながら策定した。
それらに基づいて、調理スタッフが働きやすいように、使い分けるための5色のタオルを調達し、まな板立て、包丁立て、調味料入れを買い入れた。そして、チボーン調理長念願の「ミンチ製造機」を購入する予算を通した。
彼らは嬉々として、調理場を使いやすくするために模様替えをした。今では、仕事終わりには、全ての調理台を綺麗に洗い、アルコール消毒をして、包丁とまな板は整然と片付けられている。
虫の数も、目に見えて減った。
これが、いつまで続けられるかは、楽しみにしておこうと思う。
さて、本当に頭が下がるほど、頑張っているスタッフの皆さんに「日本食」を提供するミッションは、吉岡Dr.が滞在した「1ヶ月集中手術強化月間」に、やらせてもらった。実に楽しかった。
カンボジアの片田舎で、地元の食材を使って、日本食を作るのである。こんなにチャレンジングなことは、なかなか無い。
ほぼ丸のまま納品される羽が残った鶏肉、メチャメチャ新鮮で皮付きのままの5キロの豚肉の塊、高価で硬い筋だらけの牛肉、全ての種類が「ナマズ」か「ティラピア」に分類され、僕が知る魚の骨格と骨の大きさが全く違う川魚。馬鹿でかく皮の堅いナスビ、小さな大根と胡瓜、さつまいもに見えるじゃがいも、きれいな紫の食べられる花、やたらに美味い青いトマト。
失敗したら、やり直しは効かない。作り直す食材は無いのだ。本当に、シマヤだしの素とクックパッドに、随分と助けられた。シマヤさんとキューピーさんには、是非ご寄付をお願いしたいくらいだ。マ・マーさんとお醤油、味醂、料理酒、お酢屋さんにもお願いしたい。S&Bさんにも!!!
カンボジア・フレッシュ・ファームさん、いつもティラピア魚粉のご寄付をありがとうございます。おかげさまで、子どもたちのカルシウム不足を、十分に補うことが出来そうです!
AEONさんも、調理器具のご寄付、ありがとうございます。また、よろしくお願いいたします。プノンペンに行ったら、毎回寄らせていただいています。先日は、イオンシネマにも行きました!
そして、味の素財団の皆様!大変お世話になっております!本当に、足を向けないように気を付けて寝ています!
それに、なんと言っても、給食センター開設にご尽力いただいた長沼様!ありがとうございます!
それは、兎も角・・・
期間中に提供した日本食のメニューは以下の通りである。
昼食と日曜日の食事は、吉岡Dr.のみに出された。
1/17 昼食 無し 夕食 豚肉と青菜のうどん、おにぎり、だし巻き玉子
1/18 昼食 豚丼 夕食 鶏の唐揚げ、サラダ、味噌汁(16食)
1/19 昼食 親子丼、味噌汁 夕食 豚ばら肉と大根の炊いたん、茄子の揚げ浸し、味噌汁(15食)
1/20 昼食 チキンライス、サラダ 夕食 豚生姜焼き、ポテトサラダ、味噌汁(15食)
1/21 昼食 休み 夕食 煮魚、冷奴、ひじきの炊いたん、味噌汁(15食)
1/22 昼食 豚生姜焼き 夕食 とんかつ、味噌汁(15食)
1/23 昼食 スパゲッティナポリタン 夕食 ポークカレー、サラダ、キャベツのピクルス(17食)
1/24 昼食 とんぺい焼き、味噌汁 夕食 塩焼きそば、味噌汁
1/25 昼食 モダン焼き、味噌汁 夕食 鶏の唐揚げ、サラダ、味噌汁(15食)
1/26 昼食 親子丼、味噌汁 夕食 ラーメン、ゆで豚、白菜の炒めもの(16食)
1/27 昼食 牛肉炒め、味噌汁 夕食 パンガシウス(うなぎの代用)の蒲焼、小芋の炊いたん(14食)
1/28 昼食 うどん、おにぎり 夕食 親子丼、ひじきの炊いたん(14食)
1/29 昼食 焼き飯、味噌汁 夕食 ハンバーグ、ポテトサラダ(15食)
1/30 昼食 休み 夕食 チキンカレー、サラダ、白菜のピクルス(14食)
1/31 昼食 とんぺい焼き、味噌汁 夕食 カレーうどん、魚の照り焼き
2/1 昼食 焼き飯、味噌汁 夕食 鶏の唐揚げ、ひじきの炊いたん、味噌汁(19食)
2/2 昼食 ゲソと青菜の中華風炒め、冷奴、味噌汁 夕食 ちらし寿司、味噌汁(16食)
2/3 昼食 カツ丼、味噌汁 夕食 豚生姜焼き、青梗菜のおひたし、味噌汁(15食)
2/4 昼食 お好み焼き、味噌汁 夕食 かき揚げ丼、味噌汁(13食)
2/5 昼食 トマトソースハンバーグ、野菜のスープ 夕食 休み
2/6 昼食 かき揚げうどん、おにぎり 夕食 ハヤシライス、サラダ、きゅうりのピクルス(14食)
2/7 昼食 焼きそば、目玉焼き、味噌汁 夕食 豚肉の天ぷら
2/8 昼食 とんぺい焼き、味噌汁 夕食 鶏の唐揚げ、きゅうりと茄子の酢の物(15食)
2/9 昼食 焼き飯、味噌汁 夕食 スパゲティミートソース、ポテトサラダ(11食)
2/10 昼食 お好み焼き、味噌汁 夕食 プルコギ丼、小芋の炊いたん、味噌汁(16食)
2/11 昼食 豚生姜焼き、味噌汁 夕食 とんかつ、豚汁(15食)
2/12 昼食 休み 夕食 トンテキ、ポテトサラダ、味噌汁(16食)
2/13 昼食 鶏もも肉の照り焼き、味噌汁 夕食 ポークカレー、サラダ、白菜のピクルス(11食)
2/14 昼食 トマトソース煮込みのハンバーグ、ポタージュ 夕食 豚肉の野菜炒め、味噌汁
内訳
吉岡Dr. 52食、スタッフ 120食、長期ボランティア 49食、アドバンスドナース 4食、
研修生 161食、カンボジア人スタッフ 7食
調理師としては使い物にならない眼を持つ僕は、またここに来るだろう。
あの尊敬すべき男と、その仲間をダシに、こんな僕が作ることができる料理の限界を試しに来る。
僕が調子に乗って、専門外の問題に口を出したことをきっかけに、カンボジアの子どもたちの未来に直接関わる、とても大きなプロジェクトが始まるかもしれないし、始まらないかもしれない。
これを見守る責任を勝手に感じているのだが、その鍵は、僕ではない「キーパーソン」が握っている。
そして、大命題。「給食センターの調理スタッフは、僕が作ったルールをいつまで守れるのか?」僕の暇潰しの延長戦は、どうなることやら?楽しみだ(^ ^)
今は亡き「お食事処 こやま」に捧ぐ
2021年2月19日
国際医療NGO「ジャパンハート」 カンボジア
ジャパンハートこども医療センター
栄養管理部 3ヶ月だけボランティア
調理師 小山ますたあ善三
▼プロジェクトの詳細はこちらから
医療支援 | カンボジア ジャパンハートこども医療センター 栄養管理部