「赤ちゃんの心臓が、止まっています。」
そう、お母さんへ告げなければいけない時、心がズシっと重く感じます。
この言葉を言わなければいけない機会は、残念なことに、週に何度もあるのが日常です。
時には、1日に何度もその時が訪れます。
妊娠が成立し、赤ちゃんがお母さんのお腹の中で無事に育って、母子共に健康に出産を終えることができるのは、本当に奇跡の連続です。お母さんに赤ちゃんの心臓が止まっていることを告げた日、その日の仕事が終わった時、わたしはいつもそう思います。そして、わたしがこうして今日も生きていられることに、感謝の気持ちが湧き上がります。
わたしたちの病院は、ポンネルー病院という小さなカンボジアの公立病院の横に建っています。
わたしたちの病院とポンネルー病院は、別棟ですが、徒歩1分ほどの距離にあります。そのポンネルー病院の分娩室の横の1室を借りて、わたしたちは妊婦健診をしています。わたしたちの病院ができるずっと前から、ポンネルー病院では助産師だけで分娩を扱ってきました。そのため、妊婦健診をしながら、正常な分娩はポンネルー病院で、リスクのある出産や帝王切開をしなければいけない時はジャパンハートこども医療センターで、という風に連携しながら妊産婦の管理をしています。
ポンネルー病院の分娩室とは薄い壁1枚なので、妊婦健診をしていると「1、2、3、いきんで!」という大きな掛け声が隣の部屋からよく聞こえてきます。妊婦健診のドアが勢いよく開いて、「みなみ!!」とポンネルー病院の助産師さんに名前を呼ばれ、泣かない赤ちゃんの蘇生をしたり、破水したけどなかなか産まれない妊婦さんの診察をしたり・・・。
今は、ひと月に80~100件ほどのお産があり、400人ほど(延べ人数)の妊婦さんの健診をしています。忙しい日は、ろくに休憩も取れず気づけば夕方・・(汗だくでボロボロ・・)なんて日もあります。
その日も、朝からなぜだか問題の多い妊婦さんばかりが来てとても忙しい1日でした。もう陽も傾き始め、「疲れたねー」といいながら妊婦健診室の片付けと明日の準備をしていると、いつものようにドアが開いて、「みなみ!」と呼ばれました。
事情も分からないまま、とりあえず赤ちゃんを蘇生できる物を鷲掴みにして駆けつけると、布にくるまれた小さな赤ちゃんが、冷たいタイルの上に置かれていました。
生気のない顔色で、唇は真っ青。慌てて心拍を確認しますが、心臓の音は聞こえません。
「今すぐ蘇生しなければ!」と一瞬手が動きましたが、触れると赤ちゃんの体は冷たく、連れてきた家族や周りの反応を見て、既に亡くなって時間が経っているであろうことを悟りました。
「残念ですが、赤ちゃんの心臓が止まっています。いつから元気がなかったですか?」
「・・・お昼頃からです。寝ていると思って、そのままにしていました。」
「いつどこで産まれたんですか?」
「家です。昨日。時間はわかりません。」
いくつか質問をして、この赤ちゃんを連れてきた人はお母さんではないかもしれないと思い始めました。昨日産んだにしてはなんだか元気すぎるし、カンボジアの出産直後の女性が必ずと言っていいほど身に着ける毛糸の帽子も、靴下も、巻きスカートもどれも身に着けていません。
「産んだのは朝なのか、夜なのかも分かりませんか?」
「わかりません。・・・今朝、赤ちゃんを買ったんです。」
それ以上、詳しい話は聞くことができませんでした。
ただ、目の前にいるこの赤ちゃんが気の毒で仕方ありませんでした。
どんな事情があったのかは分かりませんが、家で生まれて、翌日には売られて、そして亡くなってしまった。
この子は、なんのために産まれてきたのだろう?この子は、何回抱っこしてもらえて、何回ミルクをもらえたのだろう?誰かに優しい言葉であやしてもらったことはあっただろうか?この赤ちゃんが亡くなって、悲しんでくれる人はいるのだろうか?きちんと弔ってもらえるのだろうか?
とても綺麗な顔立ちの子でした。赤ちゃんの髪の毛や体はまだ汚れていて、産まれて一度もお風呂に入っていないことが分かります。オムツもつけておらず、何枚かのタオルにくるまれているだけでした。
せめてなにかこの子にしてあげたいと、わたしたちの病院で体を綺麗にすることを提案しましたが、静かに断られました。結局、赤ちゃんを抱いて帰って行く女性の後ろ姿を見送ることしかできませんでした。
統計上、カンボジアの新生児死亡はどんどん減少しています。でも、こうしてひっそりと死んでいく赤ちゃんたちが、きっと沢山いるのでしょう。そして、赤ちゃんを買ったり売ったりした人の話を聞くのはわたし自身も初めてではなく、今でも数百ドル(日本円で数万円)ほどで、赤ちゃんを売り買いする人がいるのだそうです。
こうして診察の合間にこのレポートを書いている今も、またひとり、「3週間前から赤ちゃんが動くのを感じません。」という妊婦さんがきました。赤ちゃんの心臓は、動いていませんでした。
ひとつでも、赤ちゃんの死をなくしたい。
妊娠中の管理、適切な指導方法、産まれた赤ちゃんの正しいケアや蘇生の方法、出産後の母乳育児ケア、赤ちゃんのケア・・・カンボジア人助産師たちに伝えたいことがたくさんあります。彼女たちもまた、診察の合間をぬって、日々赤ちゃんの蘇生の練習をしています。
これからも、日々彼女たちと成長していきます。
カンボジア 助産師 Minami Kikuchi