活動レポート

← 活動レポート:トップへもどる

お食事処 こやま ウドン店 顛末記4 誰がために給食はある?編 – 調理師 小山善三さんのレポート

up 2022.03.23

「来ちゃった♥」
57年9カ月に及ぶ我が人生において、女の子に言われたことはない。
だが、自らがカンボジアの野郎に告げることになるとはね(笑)

前回2020年12月にここに来た理由は、昨年の活動レポート1をご参照願いたい。

お食事処 こやま ウドン店 顛末記1 人生の暇つぶし編
お食事処 こやま ウドン店 顛末記2 怒涛の栄養管理部編
お食事処 こやま ウドン店 顛末記3 至福のパーティ編

2021年3月に帰国後、ジャパンハートこども医療センターで調理師が何を手伝えるか?を考えてきた。いくつかあるのだが、その中で一番にやるべきことは「子どもへの給食を食べやすくすること」だ。

前回のレポートをお読みいただければわかるのだが、当院では小児がん患者に病院給食を1日3回出している。日本では当たり前のことで、聞くところによるとタイやベトナム、インドでも普通のことらしい。
だが、カンボジアではプノンペンの国立病院以外では行われていないらしい。

カンボジアではひとりが入院すると食事も含めて家族総出で患者の身の回りの世話をする。コロナ前は当院の前庭には患者家族がテントを張って泊まり込み、さながら夏休みのキャンプ場で、毎朝お父さんはそこから出勤していた。

で、病院給食。
内容は職員給食とほぼ同じで、食材のカットもまとめて行われる。職員給食は月〜土の朝昼夕、一回80人くらい。小児がん患者は毎日朝昼夕で一回に30人くらい。毎回100〜110人分の炊飯、副菜、スープを提供する。

その結果、何が起こっていたか?
大人サイズでカットされた食材では、小児患者(0歳〜17歳くらいまで)の中から食べにくいと感じる子どもが多く出ることになる。
また味付けも、いくら刺激的な食べ物が好きな国民性だとしても、子どもには辛すぎたり、苦かったりすることがある。
結果、多くの給食は付き添いの保護者が食べて、子どもは外の屋台で好きなものを買ったり、付き添い家族用調理場で保護者が作った料理を食べることが多くなる。
要するに、病院給食として充分ではなかったのだ。

元々、なぜジャパンハートは病院給食を始めたのか?
皆さんご存知のように、ジャパンハートはここで無償高度医療を届けている。
ごく一部の富裕層を除いて、1カ月に数百万円以上もかかる高度医療は、公的保険のないカンボジアでは経済的な中間層以上にとっても、簡単に受けられるものではない。ここには色々な階層の患者さんがやって来る。
もちろん貧困層の患者さんもたくさんいる。
かつて、その小児がん患者の中に付き添いの家族が働けないことで、毎日の食事にもこと欠いてしまう家族がいた。
その患者さんは、治療を続けることが出来ずに家に帰ってしまった。
それはとても深く吉岡秀人の心に悔恨として残り、彼は患者に無償給食を出すことを決めた。

初代給食センター長の奮闘により、数千万円に及ぶ給食センター建設の資金を提供してくださる篤志家の協力を得て、清潔な給食センターを作った。
ほぼ全スタッフが日常的に原因不明の腹痛を経験していて、医療に支障をきたすこともあった。
だから、まずはそれを防ぐために職員給食を始めた。そして半年後に患者への提供も始めた。

今まで、歴代の栄養士が数々の取り組みを定着させてきた。
普通食が食べられない患者へのお粥の提供、カルシウム補給のために魚のふりかけや牛乳の提供、1日に摂取する三大栄養素のバランスに配慮したカンボジア料理のメニュー、1週間単位での栄養バランスを考慮したメニュー構成など。

そして、今回僕が取り組んだのは「子どもにとっての食べやすさの追求」だった。
だって患者である子どもたちが給食を食べてくれなければ、いくら栄養バランスを整えても「治療を助ける食事」としての効果が上がらないからだ。

日本で考えたのは、子どもが食べやすい「ポタージュ」や「茶碗蒸し」「ムースケーキ」のように給食を仕立てること。
それらを一つずつ毎週順番に試作して子どもらに試食してもらったが、どうも芳しくない。カンボジア人調理師たちも否定的。成果なく3週間が経った。

そこで最後の手段として、1月6日から一番単純で一番手間がかかる「刻み食」に挑戦してみた。
要するに「離乳食」である。これが、効果があった。乳幼児から思春期の子供まで、明らかに喫食量が増えた。

1日3回30食ずつの離乳食を作るのである。僕なら面倒だ。この試行を後回しにしたのは、手間と効果と継続の合理性に欠けると考えたからだ。
僕がここにいる間だけ、彼らが気を遣って作るのでは全く意味がない。スタッフたちは効果があると理解すれば、ちゃんとやってくれる。
しかし、自分たちが理解できなければやらない。日本人がいる時だけやって、いなくなればすぐに止めてしまう。
そりゃそうだ、どんなに偉い博士の立派な見解でも、実態にそぐわなければ取り入れる者などいるはずがない。

そこで、スタッフに「左手小指第一関節以下の大きさ」に全ての食材を刻むことを「命じた」。わざわざ「 命じた」と書いたのは、これまでに彼らに何かを強制したことはなかったからだ。
それまでは理由を説明し、期待される効果を事例で示し、目の前でやって見せて色々な改善やルールを定着させてきた。しかし、今回だけは強制したのだ。

なぜなら、過去に何度か栄養士が指示して試行したが、いつの間にか止めてしまったと聞いたからだ。
つまり何度もやって納得しなかったことだから、改めて言葉で説明しても聞く耳を持つことは期待できない。
僕は毎日朝の8時から夜の8時まで給食センターに張り付き、調理や配膳、片付けを手伝い、子どもの喫食状態を見て回り、少しでも切り方が違うとその都度注意し矯正した。
昼夜2食のおかずとスープに対して2週間ほど続けた。

すると、スタッフにも見える形で「刻み食」の効果が表れて、理解するようになった。いままでと比べて、明らかに子どもの給食の喫食量が増えたのだ。
その副作用として考えていなかった効果も表れた。子どもが昼夕食前に袋入りスナックなどを食べて、食事を食べないことが懸念の一つにあった。
だが、その間食が減ったのだ。今も食べていないわけではないが、間違いなく逓減した。

また子どもたちが給食を「食べやすい」「美味しい」と言ってくれる。
美味しくなったのは、食材の大きさが違うので職員給食と別調理となり、調理スタッフたちが味付けを子ども向けに変えてくれたからだ。

職員用と同じメニュー同士を食べ比べても、明らかに味が違う。味付けに関しては、僕はなにも言っていない。
僕は日本人調理師。カンボジア人が美味しいと感じる味付けは、僕にはできない。それは、カンボジア人調理師が担うべき役割だ。僕の役割は提案すること。その中から選ぶのは、彼らだ。

1月6日から9週間。刻み食は安定して続いている。僕が2月15日〜17日に三連休を取ってプノンペンで遊んでいる間も、スタッフは律儀に食材を刻み続けてくれていた。
2月末のスタッフが足りない或る日に野菜の刻みを手伝ったら「ヤマさん。その刻み方は大き過ぎる。それでは子どもの口に入らない。もっと小さく切ってくれ」と調理長から注意された。

帰国前最後のミーティング。スタッフたちが、僕に58回目の誕生日ケーキを用意してくれた。とても嬉しくて、とてもおいしかった(^o^)

てな訳で、今回の「人生の暇つぶし」には成果があったはず。でも3カ月だけだから、僕にはこれが精一杯だ。
また来る時まで、この成果が続いていることを願う。

そして、近い将来に優秀なカンボジア人栄養士・調理師と僕が組んで、カンボジアの患者に向けた治療食に取り組めば、ここの給食センターはもっと色々なことがやれる。
日本の病院給食の移植ではなくて、「カンボジアでの病院給食のプロトタイプ」を作らないと定着なんかしない。
それができたら、僕の人生はなかなかなるかもね(o^-^o)
 
ボランティア調理師 小山“ますたあ“善三

▼プロジェクトの詳細はこちらから
医療支援 | カンボジア ジャパンハートこども医療センター 栄養管理部

Share /
PAGE TOP